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鋳物のご紹介

人類が金属を溶かす方法を発見して最初に鋳物をつくったのは、紀元前約4000年の中央アジアのメソポタミア地方であったといわれています。それほど鋳物の歴史は古いもので、古代中国では3000年も前に精巧な鋳物がつくられています。

中国大陸から朝鮮を経てわが国に鋳造技術が伝わったのは紀元前100年頃のことで、北九州地区が最初の生産地であったようです。やがて紀元1世紀頃に 入ると、鏡 、銅鐸など鋳肌に複雑な文様を鋳出した鋳物がつくられるようになります。

紀元750年頃(天平時代)にいたると、鋳造技術の発達にともない鋳造製品はより複雑なもの、より大型のものへと広がりをみせ、その代表的なものが奈良・東大寺の大仏さまの鋳造です。こうした技術は、現在の高度な機械部品をつくる技術と原理的には同じであり、いまでも生かされています。鋳物は歴史的には古い技術ですが、いく度も製造方法に改良を加えながら近代技術へと変貌をとげていったのです。


[吉野ヶ里の銅剣] 鋳物02 わが国で鋳物づくりが始まったのは、弥生時代(約2300-1700年前)の中頃のことで、後期には青銅製の刀剣類や装飾品的なものがつくられています。弥生時代では全国最大規模の環濠集落として注目を集めている佐賀県の吉野ヶ里遺跡からも、有柄銅剣が出土しています。

[芦屋釜] 鋳物03 「芦屋鋳物師」によって遠賀郡芦屋で鋳造された鉄製の茶の湯釜です。製作の始まりははっきりしませんが、遅くとも鎌倉時代(1192-1333年)の後期には、すぐれた釜がつくられたようです。古作の「芦屋釜」は形が真形、胴部に羽がため、地肌は滑らかで浜松図などの地文様を鋳出し、茶の湯の流行した室町時代以来、珍重されました。

[アームストロング砲] 鋳物06 明治維新でその威力を発揮した佐賀・鍋島藩の「アームストロング砲」。鍋島藩は、嘉永2年(1849年)には日本最初の製鉄所(反射炉)をつくり、洋式銃の量産に成功しています。大砲の製造にあたっては、火術方、精錬方などの組織を新設。当時、国内で最先端を走っていた鋳造技術と軍事技術を結集して完成させました。

[蒸気船] 鋳物07 徳川幕府は文久元年(1861年)、洋式艦船を建造するために長崎製鉄所を建設いたしました。いまでいう製鉄所と異なり、船用の鉄系機械類を製造するという意味でつけられた名称です。鍛冶場、工作場、溶鉄場からなり、溶鉄場が鋳物工場です。わが国における洋式化された第1号の鋳物工場で、キューポラによる鋳造が行われました。


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